家主が居なくなり、荒れ放題の花壇だったものに、花が一輪、咲いていました。なんとも侘しい場所で咲く花は、単純に美しいな感じます。
さて、これだけで終わってしまえば、うれしい気持ちのままで終われたのですが、つい思いついてしまった。「この花の名前は・・・なんだ?」と。
この花のことを知りたいと思い、まず最初に思いついた疑問が「名前」だった。まあまず名前を知ろうとすることは普通の事かもしれない。だが、知りたいことは名称なのか?綺麗だと感じて、その花の事を知りたいと思ったのではないのか?花の事を知りたいのならば、そもそも目の前にあるのだし、まずはじっくりと観察するところから始めるべきではないか?
ネットで調べ、花の名前を知って、満足を得たとする。さて、この日、花に対して得た感情はどのようなものになってしまうのか?
伝達、思考する場合には名前を知っておくことは重要だと思うが、安易に名前を求めてしまうとそれで満足してしまうかもしれない。個人の感情だけの話であるならば、名前にとらわれず、見る、触るなどの感覚を重視してもいいのでは?
課題
- 名前を知っているだけで、理解しているつもりになっていないか?
- 花が綺麗なのは確かだが、美しいと感じたのは、花を含めたその場所?全体?ではないのか?
- 理解するために言葉を重ねるとして、その言葉の信頼性をどのように担保する?
- 感覚を重視する
- 感覚と記憶 ある香りを嗅ぐと、ある記憶を思いだす。痛み、手触り、音など、どれが記憶との結びつきが強いか?