『日本人の身体』(著者 安田登) 感想 寄り道
言葉を使った散歩・寄り道ようなもの
『神様は服を着ているのか?』
『聖書』と『古事記』では、「はだか」の扱いがまるっきり違うという文章から、思いついた問です。考えたところで答えはなく、なんの役にも立ちませんが、まあ散歩のようなもので、ぶらぶらしながら考えてみようかなと。
『古事記』の文面から考えると、日本の神様が服を着ていることは、容易に想像できそう。アメノウズメノの命が裸踊りをし、周りの神々が大爆笑をしているところから、服を着ていたと考えられる。問題なのは『聖書』のほう。
禁断の知恵の実を食べて、善悪を知ってしまったアダムとイブ。最初に知ったことは自分たちが裸であるということで、彼らは、いちじくの葉で腰に覆うものを作る。このことから、裸であることは『悪』ということになりそう。であるならば、神様は服をきているかも?と思ったのですが、人の善悪は神様には関係ない。裸を見られることが恥ずかしく、嫌なものだから、服は着ていたのではないか?とも考えてみたが、
唯一絶対の神の立場からして、他者の存在を想定出来なさそう。
AIさんに質問したところ、服を着ていたかどうかの記述はないそうです。また、服には、本来の用途以外の『象徴的な意味』が重要なのではないのか?という指摘も受けました。『威厳』や『神聖』を示すためにあえて着ている可能性もあるかも?
課題
- 服の「象徴的な意味」は絵にも生かせそうな考え方かも?感情や性格などを服で表現してみる?
- 服が与える影響はどれくらい?自分への影響、他人への影響・・・・・空間への影響?