『なんとなく嫌』から『生理的に無理』まで
お昼ご飯を食べているときに思いついたことです。
昔読んだ本の中に箸と茶碗の話があったなと思い出しまして、確か『逆説の日本史 著者 井沢元彦』だったと思います。
自分の箸と茶碗を持っていますか?例えば、それを自分以外の誰かが使っている場面を想像してみてください。どうでしょうか?怒るほどのことではないですが、ちょっとだけ嫌な感じがしませんか?では、ナイフやフォークはどうでしょうか?自分は家族と共同でもなんとも思いませんが、もし、自分専用のナイフやフォークがあった場合は結論が変わるかもしれません。コップなんてどうでしょうか?自分は、普段使っているコップでないと、なんとなく違和感を覚えます。
さて、やけに動きの速いアレはどうでしょうか?アレは絶対無理という方は多いと思います。蛇なんてどうでしょうか?自分は写真やイラストは好きなんですが、理屈はわかりませんが実物を見ると恐怖を感じます。
『なんとなく嫌』から『生理的に無理』まで様々なものがありますが、ほんとに理由がないのでしょうか?宗教的、生物的、疾病的、歴史的、本能的などなど探してみれば、理由が分かるかもしれません。
ただまあ、理由が分かったところで、何かが変わるわけではないです。嫌いなものは嫌いで、嫌なものは嫌なもののままだと思います。それほど、『なんとなく』や『生理的』というものは、根が深いものだと考えます。理由がないから対処の仕様がない、理由が分かってもぬぐいきれない嫌悪感はどうしようもない。もうすでに、わが身の一部になっていて切り離すことはできないんでしょうね。
それでも、理由をさがしておいて損はないのかなと思います。理由が分かれば少しだけ、自分の事を知ることができます。自分を知れば少しだけ安心ができます。安心があれば少しだけ余裕が生まれます。そうすれば、なんとなく嫌なものに出会ったときに、「ああ、そういうものなんだな」という感じで、スーッと距離をとることができるのかなと。
課題
- 『なんとく嫌』の具体例を考えてみる。
- 『生理的に無理』の具体例を考えてみる。
- 『なんとなく好き』も根本は一緒かも?
- 『なんとくなく好き』の具体例を考えてみる。